学校名 | 日本語 : 公益法人 ハイデルベルク日本語補習授業校 |
ドイツ語 : Japanische Ergänzungsschule Heidelberg e.V. | |
英語 : Japanese Supplementary School of Heidelberg | |
設立目的 | ハイデルベルクおよびその周辺に住む在留邦人の子女に対し、母国語に準ずる言語としての日本語および日本文化理解のための補習授業を行うことを主たる目的としています。また、日本国籍を持たない当地の子女に対しても門戸を開放しています。 |
設立年月日 | 2003年10月13日(社団登記日) |
補習校校長 | ディートリッヒ 菜穂 |
児童・生徒数 | 138名 (幼稚部36名/小学部74名/中学部28名)*2024年4月現在 |
教員数 | 12名 *2024年4月現在 |
運営主体 | 公益法人 ハイデルベルク日本語補習授業校 理事会 (Japanische Ergänzungsschule Heidelberg e.V. ) |
理事長 | 田中 志穂里 |
運営 | 会員総会で選出された理事により構成される理事会が中心となって学校運営に当たっています。 運営費用は、入会金ならびに月例会費と日本政府から交付される補助金です。 |
定款
※法律的に有効なのはドイツ語版のみです。
各種規程
※保護者の義務や役割などは「補習校のきまり(会員ページ)」もご確認ください。
沿革
日本語教室創設の覚え書き
1984年11月、日本人会がありました。そこで子どもを持つ家族の中から「子どもたちが無理なく楽しく日本語を勉強できる集まりがあるといいね。」という話が出ました。早速、ハイデルベルク市に掛け合い、街中にあるヴィルケンス小学校から教室使用の快諾を得て、1985年2月、ハイデルベルク日本語教室が誕生しました。
設立構想を練るうち、当初考えていた5歳児からの集まりだけではなく、さらに小さい子どもたちの場も欲しいという意見でまとまり、5歳児からと3歳児からの2グループでスタートすることになりました。
最初から子どもたちの日本語能力には差があり、親の目的意識の違いなど問題はありましたが、子どもに、日本語を学び、日本文化にふれて欲しいという親の願いは同じです。そこで、家族で合宿に行ったり、夜遅くまで話し合いをしたり、試行錯誤の連続でした。子どもの数が少なく経済的に困難な時には日本人会でバザーをしたり、親が先生役を務めたりと、皆でお互い助け合いながらこの教室を支えてきたのです。
2004年夏 大本育子
設立-1985年
本校は、ハイデルベルクの日本人有志が中心となって地元ハイデルベルク市やヴィルケンス校(Wilckensschule)の協力を得て1985年2月に設立された「ハイデルベルク日本語教室」をその前身としています。
前身-日本語教室
設立当初は、学齢5歳以上と5歳未満で分けた2クラスで授業が行われていました。その後、児童・生徒数の増加に伴いクラスを増設し、1997年には幼稚部2クラス、小学部2クラスの計4クラスとなり、2002年には小学部で児童の学齢と習熟度に応じたクラス編成を開始、クラス数も小学部が4クラスとなり、全体でも6クラスとなりました。一方、このように学校の規模が大きくなるにつれて、保護者の間ではしだいに授業環境や教育内容の一層の充実を求める気運が高まってきました。
公認補習校へ
2003年になると、公認補習校への転換を目指すという方向性は、日本語教室の総意となりました。その年の10月、現地での法人格を取得し名称も公益法人「ハイデルベルク日本語補習授業校」Japanische Ergänzungsschule Heidelberg e.V.と改められました。2004年4月には文部科学省から補習校として認定され、正式に補助金の支給も開始されました。
移転-現在
毎年順調に増えつつある児童・生徒数に見合った教室数を確保するため、2005年の6月よりハイデルベルグ市旧市街地のギムナジウムに移転しました。念願であった図書室も開設し、現在は約3500冊の蔵書を有しています。
補習校の提供する学習内容も充実し、現在は幼稚部3クラス、小学部6学年の国語学習に対応したクラス、さらに現代文から古文・漢文までの指導を行う中学部の3学部を有しています。